岩手県のいじめ事件に思う
みなさん、こんばんは。
ノート先生こと
後成塾塾長 桂野です。
本来であれば
昨日の記事の後編の動画を
アップする予定でしたが・・・・
いつもの出だしもためらわれるほどの
痛ましい事件があったので
そのことに対して
記事を書かせていただきたいと思います。
まずは
亡くなった子のご冥福を
謹んでお祈り申し上げます。
そしてそのご遺族の皆様に
謹んで哀悼の意を表します。
そしてまた
外野から勝手なことを申し上げる
無礼をお詫び申し上げます。
つい先ほど
その事件のニュースで
学校の先生の間で
「生活記録ノート」が
共有されていなかった
というものを見ました。
特に
「生活記録ノート」を
やり取りされていた担任の先生が
今後糾弾されていくことは
間違いないかと思います。
しかし私は、
今回のいじめにしても
過去に起こったいじめにしても
学校のせいや
加害生徒のせいだけに
して良いものかという思いが
私の中にあります。
学校側や加害生徒だけを
責めるのはカンタンです。
担任の先生は確かに見ていなかったようですし
「生活記録ノート」自体の校内の扱いが
お決まりの“流れ作業”になっていたかもしれません。
加害生徒に対しては
「自分がされてイヤなことを人にしない」という
最も基本的なことができていないです。
どんな法律談義を持ち出そうが
制度上の問題を持ち出そうが
そこを外していることだけは否定はできません。
しかしながら
私たち外野の人間が
こうして意見を言うときに
私自身がいつも気を付けているのは
「なぜ救えなかったのか?」
「どうして気づけなかったのか?」
と、誰かを批判するだけにとどめずに
「どうすれば同じような
問題を解決できるのか?」
という考え方をすることです。
亡くなった子は
本当につらい思いをしたと思います。
どんな思いで
あんな選択をしたのか・・・・。
考えただけで
他人の私でさえ
深い悲しみに包まれます・・・・。
しかしながら
その感情に身を任せていいのは
ご遺族の方、親しかった友人だけのように
私には思われます。
もちろん、真相の究明は必要ですが
私も含め、外野の人間としては
1人の大切な命を、
そして、1人の大切な権利を、
失ってしまったこと事実を受け止めた上で、
「なぜ~だったのか?」
「どうして~だったのか?」
という過去形ではなく
「どうすれば~できるのか?」
という未来形で
話をすべきだと思うのです。
今の学校のしくみ自体が
いじめている子、いじめられている子を
見つけ出すことが難しくなっているように思います。
以前の記事でも
それは書かせていただいています。
数多くの問題点を解決するために
私は「自律ノート」を開発しましたし
特に今回の事件は
「生活記録ノート」という
同じ“ノート”の名がつくものが
上手に運用されていなかった点で
私自身、ものすごく悲しい思いがあります。
つい最近も
ある塾生の漢字ノートに
学校の先生からのメッセージがあるのを見て
塾生に、いじめの被害者と思われる子を
救うための動きをすることを伝えたばかりです。
学校の先生が子どもたちの動きに気づき
メッセージを残してくれたことで
私は運よく塾生に声をかけることができましたが・・・・
誰も気づかない、
あるいは気づいても動かないという
組織としての仕組みに問題があるように思います。
私自身は、自律指導や「自律ノート」が
問題を解決する手段だと信じていますが
そんな手前味噌な話として
この記事を終わらせるわけにはいきません。
学校という組織の仕組みを
今のものから変える必要がありそうです。
全部言ってしまうと
すごく長い記事になってしまうので
かいつまんで書きます。
特に、小中学校の仕組みについて
いろいろと考えはあります。
■小1は20人以下のクラス編成。
上の学年は徐々にクラスの人数を増やす。
■小中学校すべてで教科担任制とし、教科によって教室を移動する。
自律指導形式で1人ひとりの学習進度に沿った内容を学ぶ。
■上の形式でなければ、100人程度の人数を
各教科1人ずつの指導者と、補助指導者が自律指導形式で指導し、
1人ひとりの学習進度に沿った内容を学ぶ。
■教科書や問題集は、予習が自らできることを主眼にして作成する。
■学活の時間はクラスに集合。テーマは担任と生徒代表が決定する。
■国語や副教科は、一斉指導と自律指導をミックスして行う。
■保護者と学校側の連絡経路を明確にする。
■社会人経験のある指導者を必ず置く。
■部活動は指導者の業務を圧迫するようであれば、指導者は補佐に回り、
競争入札で外部の民間企業に業務委託を行う。
荒唐無稽なことかもしれません。
塾の人間程度が生意気に・・・・と思われても仕方ありません。
しかし、私をよく知っている皆さんは
私がこういったことを実際に現場に取り入れて
学習成果も、人間教育も、
共に成果を上げていることを知ってくれていますので
勇気を出して意見を書きました。
学校と塾を一緒にするなと
叱られてしまうかもしれませんが、
もはや学校の現場は
そんなことを言っていられないほど
疲弊しきって、回っていないのを感じます。
教育現場の片隅で
こっそりと生きているような分際で
出過ぎた口をきいてしまいました。
こんな事件が2度と起こらないよう
「どうすれば~できるのか?」
という視点での一意見だと思っていただければ幸いです。
亡くなった子、本当につらかったと思います。
決して一過性のものにしてはいけません。
単に犯人捜しをするのではなく
悲しいけれど、未来のために、
「どうすれば~できるのか?」を
私はずっと、考えたいと思います。